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桃園の誓い

ざっくりまとめ
時期 黄巾の乱勃発直前(184年頃)
場所 幽州涿郡(張飛の屋敷の裏)
関連人物 劉備関羽張飛
史実性 フィクション(『演義』の創作)

※ただし、三人の関係が「恩若兄弟(恩、兄弟の若し)」であったことは『正史』に記述あり。

重要度 ★★★★★

桃園の誓いは、三国志の主役である三人が義兄弟の契りを結んだ物語の原点です。史実においても彼らは兄弟のような固い絆で結ばれており、この誓いが後の建国、そして夷陵の戦いの悲劇へと繋がっていきます。

1. プロローグ:腐敗した帝国と、三人の「はぐれ者」
物語の舞台は184年。400年続いた巨大帝国・後漢は、今まさに崩壊の時を迎えていました。

政治の中枢では十常侍と呼ばれる宦官たちが私腹を肥やし、地方では飢饉と重税に苦しむ民衆が、張角率いる太平道に救いを求め、やがてそれは黄巾の乱という巨大な反乱へと変わりました。

そんな絶望的な時代、北方の辺境・幽州の涿郡(現在の河北省保定市)に、三人の男が引き寄せられるように集まりました。

劉備 (20代) 自称・漢室の末裔だが、実態は貧しいむしろ売り。しかし、不思議と人を惹きつける瞳を持っていた。

関羽 (20代) 故郷で悪徳豪族を殺して逃亡してきた、指名手配犯。類まれな武勇と義侠心を持つ大男。

張飛 (10代後半) 実家の肉屋と酒屋を切り盛りする地元の資産家。腕っぷしが強く、世の中の不正に腹を立てていた。

本来なら交わるはずのない、身分も境遇もバラバラな三人。彼らを結びつけたのは、一枚の「義勇軍募集」の立て札でした。

2. 物語の世界:『演義』と『平話』の違い
小説『三国志演義』では、この出会いはあまりにもドラマチックに描かれます。

立て札の前で嘆く劉備張飛が一喝し、酒場へ連れ込む。そこへ関羽が現れ、意気投合する。 三人は張飛の屋敷の裏にある満開の桃の花の下で、天に誓いを立てます。

我ら三人、姓は異なれど、兄弟の契りを結ぶ。 心を同じくして助け合い、困窮する者を救わん。 生まれた日は違えども、願わくば同年、同月、同日に死せん事を。

この時、祭壇には「烏牛白馬(黒牛と白馬)」が供えられました。 なお、演義の元ネタとなった『三国志平話』では、より呪術的に「白馬を屠りて天を祭り、黒牛を殺して地を祭る(宰白馬祭天,殺烏牛祭地)」と描写されていますが、現在の『演義』(毛宗崗本)では、英雄たちの物語として洗練された表現になっています。

3. 『正史』の世界:フィクションを超えた「現実」
さて、ここで冷徹な「史実」の視点を入れてみましょう。 歴史書である『正史』には、桃園の儀式も、あの名セリフも記述されていません。では、これは完全な嘘なのでしょうか?

いいえ、現実は小説よりも濃密でした。正史にはこう記されています。

『三国志』蜀書 関羽伝

出典: 『三国志』蜀書 関羽伝 原文: 「先主與二人寢則同床,恩若兄弟。」 解説: 先主(劉備)は二人(関羽張飛)と寝る時は同じ寝台を使い、その恩愛は兄弟のようであった(恩若兄弟)。

『三国志』蜀書 張飛伝

出典: 『三国志』蜀書 張飛伝 原文: 「羽年長數歲,飛兄事之。」 解説: 関羽は数歳年長であったため、張飛は兄としてこれに仕えた。

「同じベッドで寝る」というのは、当時の中国では最大級の信頼の証です。 儀式やセリフは創作だとしても、彼らが**「恩若兄弟(恩、兄弟の若し)」**と呼ばれるほどの絆で結ばれていたことは、紛れもない史実なのです。

4. エピローグ:誓いの代償
この誓いは、彼らに天下への切符を与えました。しかし同時に、悲劇の引き金ともなりました。

数十年後、荊州関羽に殺され、その仇討ちの準備中に張飛も部下に暗殺されます。 残された劉備は、皇帝の座にありながら冷静な判断を失いました。「同じ日に死ぬ」という誓いが、彼を無謀な復讐戦(夷陵の戦い)へと駆り立て、結果としての国力を大きく損なうことになったのです。

美しい誓いが生んだ、あまりにも人間臭い結末。 それが、桃園の誓いが1800年経った今もなお、私たちの心を打ち続ける理由なのかもしれません。

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