【三国志ガイド】陸遜 (Lu Xun) – 関羽と劉備を葬った「書生」の悲劇的末路
生涯
苦難の少年期と「孫家との因縁」
陸遜(本名は陸議)は、江東四姓の一つである名門・陸氏の出身です。しかし、その少年時代は苦難に満ちていました。
彼の祖父・陸康は盧江太守でしたが、当時勢力を拡大していた袁術の命令を受けた孫策(孫権の兄)に攻められ、長期間の包囲戦の末に病没。一族の多くも飢えと戦乱で命を落としました。
若き陸遜は生き残った一族を率いて逃げ延び、若くして家長としての重責を背負うことになります。彼にとって孫家は、本来「祖父の仇」に近い存在でした。
関羽討伐と荊州奪還
203年に孫権に出仕した陸遜は、山越討伐などで着実に実績を積み重ねます。
219年、荊州を守る関羽が北伐を開始し、魏を追い詰めると、陸遜は病気の呂蒙に代わって陸口に赴任します。
彼は関羽の「武勇に自信があり、他者を侮る」という性格を見抜き、極端にへりくだった手紙を送って油断させました。後顧の憂いを断ったと信じた関羽が全軍を北に向けた隙を突き、呂蒙と共に電撃的に荊州を制圧。関羽を孤立無援の麦城へ追い込み、討ち取ることに成功しました。
夷陵の戦いと石亭の戦い
222年、復讐に燃える劉備が蜀の全軍を率いて来襲(夷陵の戦い)。
孫権は陸遜を大都督(総司令官)に抜擢しますが、韓当や周泰といった古参の将軍たちは「若造に何ができる」と反発しました。
しかし陸遜は動じず、半年以上も防御に徹します。そして蜀軍が夏の暑さと疲労で緩んだ一瞬の隙を見逃さず、大規模な火攻めを敢行。劉備軍を壊滅させました。
さらに228年の石亭の戦いでは、周魴の「断髪の偽降計」と連携し、魏の大司馬・曹休を大破。呉の軍事的な全盛期を築き上げました。
晩年の悲劇:二宮の変
244年、陸遜は最高の地位である丞相に就任しますが、ここから彼の人生は暗転します。
孫権の後継者争い(二宮の変)において、陸遜は儒教的道徳に基づき「嫡子である孫和様を廃してはなりません」と直言を繰り返しました。
しかし、老いて猜疑心の塊となった孫権はこれを「派閥争い」と邪推。陸遜の親族や部下を次々と流刑・処刑し、陸遜本人にも何度も詰問の使者を送りました。
誇り高い陸遜は、主君からの理不尽な疑いに憤慨し、245年、失意のうちに憤死しました。享年63。
人物評
陸遜の本質は、常人離れした「忍耐力」にあります。
祖父を殺した孫家に仕える忍耐、関羽に対して媚びへつらう忍耐、夷陵で味方の嘲笑に耐えて好機を待つ忍耐。
彼の勝利は常に、長い我慢の後に訪れる爆発的なカウンターでした。
『正史』の記述によれば、彼は物静かで、一見すると書生(学者)のような風貌だったといいます。しかし、軍律に関しては厳格で、夷陵の戦いにおいて命令違反を犯そうとした皇族の孫桓や古参将軍に対し、「私は主上(孫権)から指揮権を預かっている。命令に背く者は、たとえ功臣でも処刑する」と言い放ち、全軍を震え上がらせました。
三国志演義との差異
夷陵の戦いの「石兵八陣」
『三国志演義』第84回では、夷陵で勝利した陸遜がさらに蜀軍を追撃する際、永安(白帝城)の近くで不思議な殺気に満ちた石積み(魚腹浦)に迷い込みます。
これが諸葛亮が予め設置していた石兵八陣です。
突風と波濤の幻術に閉じ込められ、死を覚悟した陸遜ですが、諸葛亮の舅である黄承彦に「好生(生き物を殺生しないこと)」の徳によって導き出されます。
陸遜は「孔明の神機妙算には及ばない」と嘆息し、魏の来襲を警戒して撤退します。
【史実との違い】
正史には石兵八陣に迷い込む記述はありません。陸遜が撤退したのは、魏の曹丕が呉の背後を狙って軍を動かした気配を察知したためであり、純粋に戦略的な判断でした。
年齢と容姿
演義では、夷陵の戦いの時点で陸遜は「白面書生(色白の若者)」として描かれ、劉備も「乳臭い子供」と侮ります。
しかし史実では、この時すでに40歳。歴戦の将軍としてのキャリアも十分に積んでおり、劉備が彼を軽視したのは「若さ」ゆえではなく、単に知名度が低かったためと考えられます。
一族
陸氏は江東を代表する四姓(陸・顧・朱・張)の筆頭格であり、呉の政界に深い根を張っていました。
- 祖父:陸康
後漢の盧江太守。袁術・孫策軍に攻められ憤死。 - 妻:孫氏(孫策の娘)
孫策の娘であり、孫権の姪。陸遜が孫家の一員として認められた証ですが、同時に「仇の娘」でもあります。 - 子:陸抗
陸遜の次男。父の死後、一時的に地位を落としますが、後に才能を発揮して大司馬となります。晋の名将・羊祜との国境を越えた友情(羊陸之交)は有名。父と共に「陸遜・陸抗」と並び称され、衰退する呉を最後まで支え続けました。
評価
正史の評
陳寿は『正史』において、陸遜を周瑜・呂蒙と並ぶ呉の功臣として別格の扱い(単独での列伝)をし、絶賛しています。
出典: 『三国志』呉書 陸遜伝 評
原文: 「劉備天下稱雄,一世所憚,陸遜春秋方壯,威名未著,摧而克之,罔不如志。予既奇遜之謀略,又歎權之識才。」
解説: 劉備は天下の英雄で誰もが恐れていたが、陸遜は若く(※壮年)無名でありながらこれを撃ち破り、思い通りにならなかったことはなかった。私は陸遜の謀略の奇才ぶりに驚き、また彼の才能を見抜いた孫権にも感嘆する。
エピソード・逸話
関羽への手紙(謙下自託)
関羽討伐の際、陸遜が送った手紙は、相手のプライドをくすぐる心理戦の傑作として知られています。
出典: 『三国志』呉書 陸遜伝
原文: 「羽覽遜書,有謙下自託之意,意大安,無復所嫌。」
解説: 関羽は陸遜の手紙を見て、そこに(陸遜が自分を)謙虚にへりくだって頼ってくる意志を感じ取り、大いに安心し、もはや疑うことをしなかった。
関羽は「老将(黄忠など)」には敬意を払いましたが、「士大夫(インテリ層)」を軽蔑する傾向がありました。陸遜はそこを逆手に取り、あえて「無知な若輩者」を演じることで、軍神の目を欺いたのです。